螺子を巻く夜
 がちゃがちゃと耳障りな音がする。水の音に混じって金具と金具がぶつかるそれ、さて随分と騒がしい。
 それに起こされた高杉は、寝起きの頭でまだやってんのかと呆れた。こんな音を、しかもこんな夜更けに立てる輩は自分の知る限りたった一人で、此度の騒音の元も果たしてそいつであった。
「まァたやってんのかィ、三郎よォ」
「あ。すんません、起こしちゃいましたか」
 音源の戸口に凭れて声を掛ければ、連日連夜工具と機械に囲まれて過ごす男は直ぐ様振り返り、申し訳なさそうににへらと顔を崩した。それに肩を竦め無言のまま倉庫に踏み入り、適当な箱に腰掛けた高杉は、ふと傍らの螺子を取り上げて矯めつ眇つ眺めた。ただの螺子、本当に何の変哲もないものだ。しかしちっぽけなこれが、目の前の男に掛かればあっという間に機械の心臓となってしまうのだから不思議である。高杉にはその仕掛けがさっぱり解らない。況してや目を輝かせる理由など。だから、こんなもん、面白いのかねと思わず呟けば、面白いですよ、と反論が飛んできた。その勢いに怖や怖やと大袈裟に肩を竦めてみせると、三郎は笑った。
「総督には解りませんか、この世界は」
「あー、解んねェな。解る気もねェよ」
「そっすか」
 投げ遣りな反応にへへっと笑い声を上げて三郎は作業に戻った。高杉はその背中を何となく見つつ時間を潰した。どうせここまで冴えた頭はすぐには眠るまい。しかしここにいてもやることはなかった。鍛練の二字が浮かんだが、生憎外は雨。道場はこの廃寺になかった(仮にあったとて救護所になってしまうからどちらにせよそれを屋内に求めるのは無理な話だった)し、自分たちが振るうのは竹刀でなく真剣だ。色色な意味で危険すぎる。銀時と抜刀して争い、結果拠点を半壊させて桂にしこたま叱られた過去は記憶に新しい。かといって三郎の手伝いは論外だった。自分が手を貸してどうなるかは以前弄らせてもらった辰馬の短筒で十二分に懲りている。ちなみに作戦をさらう気は毛頭ない。毎度毎度銀時や辰馬に説明すること云十回、憶えるも何もないのだ。そも此度の司令官は高杉である。はてさて、と思案を巡らしながら気付けば時刻は疾うに丑の刻に入っていた。
 かち、かちゃかちゃ、と鉄だの銅だのは先程よりも幾ばくか静かに声を上げる。さすがに時刻を憚ってか、大きな音は立たなくなっていた。
「総督、その螺子、こっちに寄越してくれますか」
 手持ち無沙汰にしていたら、いつの間にか三郎がこちらを向いて掌を差し出していた。螺子、と自分の手の中を見ると、初めに取り上げた小さな螺子がじっと踞っている。ずっと握っていて体温が移ったのだろう、高杉はすっかり存在を忘れていた。
「あァ、ほら」
 ぽん、と投げ渡す。それは弧を描いて狂うことなく三郎の掌に帰り、まもなく機械の一部となった。その始終を眺め、なぜか螺子が喜んでいるように高杉には思えた。
「楽しいかィ」
「ええ」
 気紛れに訊けば弾んだ声が返ってきた。間髪入れずの答に、確かにそうなのだろうと解る。時間を忘れて没頭する背中に何が楽しいんだかと再び呟くがそれは口の中に留めておいた。
 それにしても、と高杉はつくづく思う。鮮やかなものである。生き生きと蠢く工具に合わせて、そこに当たり前の顔で螺子や線や板がぴたりと嵌まっていく様は爽快だった。だが、それを伝えれば三郎は決まって「親父にゃ敵いませんよ」と返すのだ(その時の彼は照れて鼻の頭を掻き、だが真面目な顔で謙遜の態度を頑なに貫く)。そこから彼の父親話はああだこうだと続いていくのが常だった。とても楽しそうに、そして少しのさみしさと憤りを混ぜて。その表情に何とも言えない気分になるのは、自分と父との関係とはまるで違うからだろう。徐に高杉は思った。
 高杉の父は、厳しい人だった。誉められた憶えはあまりない。また、頭を撫でるだとか、抱き締めるだとか、そういった、彼の人が当たり前にしてくれたことを父が与えてくれた記憶もない。それどころか高杉の父も高杉自身も我の強い性質のために昔から反目し合ってばかりだった。そして今や家族ではなくなった二人の、その決裂の決定打はやはり彼の人の死であり、高杉は父との三日三晩に渡る激論の末、家と縁を切ったのだった。
「っし、完璧だ」
 思考を破られて、はっと肩が揺れた。顔を上げれば三郎は立ち上がって体を解していた。ずっと座り込んでの作業だったせいで余程筋肉が固まっていたのだろう、時折呻き声が聞こえる。
「あれ、総督まだ居たんですか」
「居ちゃ悪ィのかよ」
 振り向き様の一言に憮然として答えれば、彼はひらひらと手を振った。
「いやいや。ただ、もう寅の刻も過ぎるのに起きてることにびっくりしただけっすよ。明日って確か、総督朝早いんじゃ……ああ、もう今日か」
 言われて、初めてもうそんな時間かと高杉は思った。ならば、あと一刻半の後に自分は戦場に出て指揮を執らねばならない。本当にいい加減眠らなければ最悪落命するだろう。だが、どうにも眠くなかった。
 一方の三郎といえば、茶でもどうです、と暢気そのものだった。高杉がじろりと睨み上げれば、眠れない時ァね総督、とへらりと彼は笑った。
「茶でも飲んで、少し気ィ落ち着けて、のんびりした方が良いんですよ。だから飲みましょうや」
 そうまで言われて、無下に断るほど高杉も鬼ではなかった。貰おう、と鷹揚に応えた高杉に三郎は苦笑を溢して茶葉の缶を手に取った。あっという間に二人それぞれの手に収まった湯飲みからは細く乳白の線が立っている。それを平気な顔で飲む男を横目に、同じものをちびちびと高杉は啜った(美味であったが、猫舌には少し熱すぎた)。
 中身は水か酒かと疑う速さで湯飲みを空にして、三郎はもう一杯と急須を取り上げた。総督は、と目で訊いてくる彼に首を横に振り、高杉は尚もちびちびと茶を啜り続けた。
「そういや」
 急須を揺らしながらふと思い付いたように呟いた三郎に、まだ何かあるのかと高杉は胡乱な瞳を向けた。温かい茶を腹に入れたせいか段段と体が重くなってきて、話すのは正直億劫だった。
「総督は、何で戦に?」
 だから、反応が遅れた。常ならば即答しただろう高杉の沈黙を不思議に思ったか、急須を揺らす男は顔を上げて再び問うた。
「何のために、ここにいるんすか?」
「……なんの、ために」
 ぼんやりと繰り返す高杉の脳裏に映ったのは、未だ褪せることを知らず記憶に在り続ける、世界が覆った『あの日』。途端体の奥に昏い焔が燃え、みしりと湯飲みが軋んだ。
「決まってらァ」
 絞り出すように唸る、地を這う声は平生よりも低い。
「復讐だ。……あの人を殺した世界を、俺ァ最後の最後まで壊してやるんだよ」
 ぎしぎしと嫌な音が満ちる。しかし三郎は隣の殺気に動じず、そっすか、とただ相槌を打って湯気の立つ二杯目を喉に流し息を吐いた。その緩やかな動作に、次第に高杉の指の力は抜けていった。
 上官が続きを促せるまでに余裕を取り戻したのを感じ取ってから、彼はゆっくりと口を開いた。
「俺ァね、ちょっと違うんすよ。ここにゃ戦争に来たんじゃねえんです」
「ほう?」
 いくさばで、戦争に来たのではないと言う。とんだ酔狂だと高杉は薄く笑った。酔狂は嫌いではない。寧ろまともと呼ばれる輩より好ましい。
 高杉の心境を知ってか知らずか、三郎は笑みを浮かべて静かに先を続けた。
「親父と、喧嘩しに来たんだ」
 一拍、要した。
 言葉がこれほど難解なものと高杉は終ぞ知らなかった。三郎の声は、高杉が到底持ち得ない感情と共に発される穏やかなものだったから、尚更理解し難かった。
「……喧嘩だァ?」
「はい」
「何なんだよそいつァ」
 ようよう件の言葉を呑み込んで顰めっ面を作る高杉に、彼は苦笑を向けた。
「お互い意地んなっちまってね、我を通すために俺はここにいるんす。まあ親父は……きっとまだあそこで機械造ってんじゃねえかな」
 鼻唄を唄うように言う三郎を、高杉はあの何とも言えない気分でまじまじと見詰めた。上手く応える言葉が見付からなかった。だから無難に、そうか、としか言えなかった。だから高杉には、そっすよと気軽に返す隣の男との間に横たわる深い溝を飛び越えることは叶わなかった。
 ふと目を落とすと、一本、螺子が転がっていた。湯飲みを手放して歪なかたちをしたそれを拾い上げて握るとやはり冷たい。
「……なァ、三郎」
「なんすか?」
「てめェの親父は、てめェが戦出るっつった時、どうした」
 三郎にそう訊いて、唐突に、戦に出ると告げた時の父の顔が浮かんだ。一瞬呆然とした後に、青二才のお前に何が出来るとせせら笑った、その目は揺れていただろうか。息子を失うかもしれない恐れはあっただろうか。顔を見て話していたはずなのに思い出せない。ああ、解らない。それを知る手立ては永久に喪われていることだけは、はっきりしていたが。それでも今、無性に気になった。
「あー……やっぱ、待てとか止めろとかさんざ言われましたね。でも俺もかなり頭に血ィ昇ってたんで、全部無視して、まあ今ここにいるわけで」
「……そうか」
 ずぶずぶと思考に沈む中で薄膜を一枚隔てた向こうに三郎の答を聞いて、ああやはりと高杉はそっと溜息を吐いた。溝は深まるばかりで、決して埋まりはしないのだ。
 掌の螺子を弄びながら、不意にさみしさにも似た感情を覚えて、高杉の口は知らず動いていた。
「解んねェなァ、俺には」
 声が耳に届いて、気付く。そうだ、自分には解らないのだ、だからこいつとの距離は永遠に縮まらないし、絶対に同じ場所には立てない、解っている、そんなことは、……だけれども。
 いつの間にか歪な螺子には体温が移り、初めの冷たさがもうどこにもない。それがどうにも気に食わなくて、螺子を放った。からんからんと乾いた音が響いて虚しさばかりが手元に残る。解っていたことなのに堪らなくなった。
 だから、持て余しているのは他ならぬ自身だと知りながら、高杉は先程と同じ言葉を呟いた。
「解んねェよ」
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Title by Lilt.
20110616 up

三郎と源外のじーさんの関係を、ひっそり高杉は羨んでいたのではないかと。尻切れ蜻蛉甚だしくてすみません。ちなみに高杉とその父の関係は完全なる捏造ですので悪しからず。