澄み渡る透明、その理由
 銀ちゃーん、と少し先を行く神楽が跳ねた。紫の傘をぶんぶん振り回して俺を急かす。新八も神楽の隣で早くしてくださいと言わんばかりの視線を送ってくる。
 それでも俺は歩調を変えず、ようやく二人に追い付いた時にはそれはもう盛大なアッパーを食らった。
 ってーな、何すんの神楽ちゃん。うっさいアル! 銀ちゃんが遅いのが悪いネ! あーはいはい、銀さんはもう年なんですよ、こんな坂走って登れっか。年ってアンタ……まだ三十路越えてないでしょう。
 そんな穏やかなやり取りをして、また歩き出す。新八の両手には買い物袋が二つ、俺の右手に一つ。今日の昼と夕飯の材料だ。少し重い。まあ重い物ばかりを引き受けたから俺は袋一つで済んでいるのだが。
 ですね、銀さん。
 ぼうっとしていたら、新八の声に引き戻される。はい? と返せば、今日はいい天気ですよね、と笑い掛けてくる。あーそーね。俺のやる気ない返事を小馬鹿にしたように雀が啼いた。
 猛暑続きで秋がホントに来るのかなあって心配してたけど、やっぱり日本はこうでなくちゃねえ。そうアルな、食欲の秋が来ないと冬にならないもんネ。何言ってんの、神楽ちゃんはいつだってしょくよ、。何か言ったアルか新八? いえ何も! まったく、これだからダメガネなのヨ新八は。何ををををををを! 今僕を全否定したよね!? 全否定したよね!? お前なんて九割メガネで他はメガネ掛け的な何かと水的な何かで出来てるアル。なんだよ、もうそれただのメガネじゃん! 九割メガネって人間要素零じゃん!
 二人の会話をどこか遠くで聞いていると、また距離が開いていたらしい。銀ちゃん早く! と叫ぶ声におーう、と短く返してのったりのったり足を運ぶ。またアッパーが来るかな、なんて暢気なことを考えていた俺は、だから二人の不安気な表情に気付いて少し狼狽えた。どうした、と問えば一度顔を見合わせて。
 銀さん、アンタ何かあったんですか。
 妙に真剣な面持ちで訊ねてくる新八に虚を突かれた。何もねーよ、と笑うが、ぶっきらぼうに答えることで肯定しているようなものだ。自分でも解る。
 何もないわけないじゃないすか。
 ほら、来た。新八の声に呆れが滲んでいる。神楽の眼にも不安が揺れている。
 何なんですか、今日は朝から変ですよ? そーヨ、だって今日銀ちゃん朝の天気予報だって見てなかったアル。完璧に上の空だったネ。
 ああ、やっぱりこの聡い子供たちは気付いていた。本当、こいつらだけは欺けない。そして追い打つように、新八の言葉が刺さる。ねえ銀さん。
 僕ら一体どんだけ一緒にいると思ってんですか。アンタが何かおかしいことくらい解りますよ。
 解ってる。でも何も言えない。言えなかった。俺が黙って突っ立っていると、新八が溜息を吐いて取り敢えず家に帰ることを提案した。誰も賛同の声は上げなかったが、自然と万事屋に向かって歩いていた。今度は置いていかれていない。二つの足が、右と左。俺に合わせて静かに進んでいた。


 気味悪いくらい静寂に満ちた帰路を辿り、帰り着いてもまだ無言は続いた。新八が煎れてくれた茶を啜って、ようやく一息。今日初めて息を吐けた気がした。
 銀さん。
 不意に呼び掛けられて、しかし案外冷静にそれを受け止めた。向けられる新八と神楽の真っ直ぐな視線は俺を串刺しにした。ふい、と目を逸らしてもただついてくる二筋の線に落ち着かなくなった。誤魔化すように湯呑みに口を付けながら訊き返す。なーに? あ、俺の声、震えてないかな。
 やがて徐に新八の声が降りる。
 話したくないことは、無理に話さなくっていいっすよ。
 僕らは待ちますから。そう続いた台詞に湯呑みを取り落としかけた。半端に開いた口からは単語にならない音が飛び出す。結局何も言えず、もう一口だけ茶を啜り俺は立ち上がった。追い掛ける二組四つの目に、ちょっと出てくる、と言って万事屋を後にした。


 やっぱアレは狡かったか、と多少の後悔を懐きながら僅か三十分前に歩いたかぶき町をぶらつく。いやでも、他に言いようがなかったし。言い訳ならいくらでも思い付く自分が悲しい。
 そう言えば、あの時も言い訳ばかりだった。
 全てが揃った幸せが完膚なきまでに全て瓦解して、幸せを知る前よりも尚悪い状況になった、あの時。俺は何も出来なかった自分に言い訳ばかりしていた。だって、だって、だって。だっての後に続く言葉は数え切れない。きっとあの人はそんな俺に呆れていただろう。しかしまあ、だって、なんて一体誰が考えた言葉か。素晴らしく素晴らしい、逃げ道を作るための単語だ。寧ろそのためだけの単語だ。
 見上げれば、青い空。あの日も、綺麗な秋晴れだった。十月はよく晴れるのですよ、と笑っていたっけ。……あ、れ、あの笑顔は、どんなんだったか。
 ああ、にしても、十月、十月。十月は俺の誕生日、と、
 その先を考えたくなくて、思考停止。後は雑踏に身を任せて歩いた。肩がぶつかっても気にしない。罵声を浴びせられても無視を決め込む。そうして。
 せんせい。
 突然喧騒を飛び越えて耳に飛び込んだ言葉に肩が揺れる。声の出所を辿ると、寺子屋。そこから子供がわらわらと転がり出て、最後に教師であろう男が顔を見せた。またね、先生。さよなら先生。明日アレ持ってくっからね! 元気な声に男は一々笑顔で返答する。ああ、またね。気を付けて帰るんだよ。宿題忘れずにな。……
 きゅっと鼻の奥が痛くなった。どうしようもなく叫びたくて、暴れたくて、体が爆発しそうで、耐えきれず俺は走り出す。がむしゃらに、ひたすらに。走らなければきっとあの場で俺は暴れていた。
 もう前も後ろも右も左も、上か下かさえも解らない。とにかく走った。


 気付けば万事屋の玄関があった。動揺してまごついていると、人の気配を察してかぱたぱたと軽い足音。神楽だな、と思ったその瞬間に引き戸が開けられて神楽の顔が覗く。銀ちゃん。びっくり顔で固まる神楽にこっちは困った。何でそんな顔してんだよ。それを言う前にお客さん? と新八が台所から出てきた。そして新八も神楽と同じ表情になったから、益々俺は混乱に巻き込まれる。え、なに、どしたのお前ら。やっとこさ言えば、二人の子供は何も言わずにぎゅうっと抱き着いてき、て。
 銀ちゃん、銀ちゃん泣きそうな顔してるアルヨ。
 くぐもった神楽の声。新八もぐりぐりと頭を上下に振る。俺が? 泣きそう? あまりに唐突で子供たちを抱き返すことも出来ずに立ち尽くす。銀さん、無理しないでくださいよ。泣きたい時は泣いてもいいのヨ、銀ちゃん。アンタのそんな顔、見てられないです。神楽の小さな頭が震えている。新八に至っては鼻声だ。おいおい、お前らの方がよっぽど泣きそうじゃねーか、どうした、そんなに情けねえ声出して。
 そう言いたいのに、言えない。どうやら今日俺の喉は休業日らしい。一つとして用意した言葉を出してくれない。
 ただ、震える。二人の体温は確かに二人が生きていることを教えてくれていて、二人の優しさが背中に回された腕を通して流れ込んでくる。そのことに酷く安心した。ようやく動いた両腕は、自然と二人の背を掴んだ。
 ごめんな。唇が動いて作り出した音。それがどこに向かって発されたものか、自分でも解らなかった。それでも、いいヨ、いいですよ、と返事が二つ返ってくる、その安堵。目を閉じると、先程見上げたむかつくほど綺麗な青い空が目の前に浮かんで、ついでに思い出せなかったあのどこまでも慈愛に満ち満ちた笑顔をはっきりと、見た。

 せんせい。今日も世界はあんたを知らずに廻り続けてる。それを受け止めることの出来なかった俺に、あんたは何て言ってくれるんだろうな。
 けどなあせんせい、何でか解んねえが、今日も世界は澄んでいるんだ。あんたの好きな、秋晴れの空が広がってるよ。きっと、それは。
 ああもう、どうして、どうして、世界はこんなに。
RETURN | no : no
咆哮、慟哭、それが収まった先の、ただ一つの感情。
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20101030 up

吉田松陰先生、そして、吉田松陽先生へ、追悼。遅れてすみません。